天然パーマです。

俊輔いってらっさいかい~新宿→鎌倉山武勇伝(かなり気合はいってます)

鈴木俊輔(sky_shun)

今日は、僕の友達である鈴木俊輔君が半年間語学留学にいくということで、送別会があった。俊輔とは、大学1年の入学当初からの仲である。みんなが友達つくりに必死になっている当時、教室のベンチでぼけーとしてたら、「昨日ロック研見学きてましたよね?」と彼から突然、話かけてきた。おれは一瞬「うわーこいつ友達作るのに必死だなー」と内心ひいたが、愛想良く返事をして、少し友達になった。決定的だったのは、比較文化のチーム決めである。当初は俊輔とは組むつもりはなかったが、彼が一人でさびしそうにしていたので、一緒に組むことになった。そうしたら何か残り物のよせあつめみたいな感じにチームになってしまった。俺と俊輔と、名古屋から来た坊ちゃんと、パソコンお宅と、後は2年せい。「まったくやれやれ」と思ったが、今では、あの時俊輔と組んでいなかったら、結構人生変わっていたなと思うのであった。→リンク: 鈴木俊輔プロフィール

いってらっさい会

今日はお別れ会ということでバイトを6時前切り上げ、新宿に行った。本当は俊輔には知らせず、俺たちで前のりをして彼を驚かしてやろうという計画だったにもかかわらず、なぜか俊輔の方が店に早くついてしまった。これって結構やっちゃいけないことだね。 久しぶりに結構飲んだ。まぁでもそこまでよっていないなと思った。 明日もバイトだし、今日は帰りたかった。モノレールの終電はあきらめた。なかなか楽しかったので。

新宿→鎌倉山武勇伝

新宿から品川ゆきに飛び乗った。大船に帰るにはこれが最終である。はぁはぁしながらも僕はお気に入りの小説「フロスト日和」を読む。最近、電車通勤を始めての日課である。新宿→品川間というのはやっぱり遠い。疲れていたが、フロストを読みながら僕は耐えた。

やっと品川についた。品川発小田原行きの東海道線が12時9分に出る。僕は周りの状況を見て、発射が近いことを察し走った。走っているときはなんかテンションあがったが、電車にようやく乗れて、手すりにつかまったときに、富士山登ったときくらいにはぁはぁしている自分に気づいた。「無理もない、俺はよっているんだ。」すぐこのつらさは収まると思われた。そして、フロストの続きを読み出した。

しかし、それは長くは続かなかった。「うっ気持ちがわるい。。。」どうやら、酒に酔ってるのと、先ほど走ったのと、電車のゆれと、さまざまな要素で、僕は気分が悪くなってしまった。 フロストを読むのをあきらめ、手すりに自分の全体重を乗せた。そして、大船に一刻も早くつくことを願った。 冷や汗が出てきた。「かわさきーかわさきー」やっと川崎に着いた。目の前に座っている人が川崎住民であることを願ったが、彼はウォークマンの音楽を聴いたまま、気持ちよさそうに眠っていた。そして、電車は横浜までの道のりを進むため、開いてたドアを閉め再びわれわれを密封監禁した。

事態はより悪くなっていくようだった。一気に血の気が引くような気がした。さっき食べた胃の中の食料が重力に逆らって、反芻しだした。僕は唇をがんと締めその流動体を自分の体の中に押さえ込んだ。そのとき、僕の決心はついた。「大船まではいけない。次の駅でおりよう。」さらに悪いことには、軽くうんこもしたくなってきていた。僕は絶えた。自分の前にいるウォークマン男の洋服を汚さぬよう。

横浜についた。ほんの1秒ほど、このまま残るか降りるかで迷いがあった。降りるということはつまり電車がないことを意味する。だが、1秒後の私は吊り篭の乗せていたかばんを力なく、つかんでいた。そして、僕は牢屋からはいでる囚人のように電車から降りた。
まずトイレに行きたかった。しかし、勢いで改札をでてしまった僕には、トイレを探すということが困難であった。よっぽど警察に訊こうかと思ったが、馬鹿にされるのがいやでやめた。そして早めに手を打っておいたほうがよいと重い無謀な自分の要望を飲んでくれる友人に電話をかけた。電車にいるときは降りたらベンチに寝そべって、自分の体内にあるものをすべて駅のホームにぶち任してやる、と行きこんでいたのだが、外の空気に触れてちょっと歩くとだいぶよくなったようだ。しかし、現実とは向き合わなくてはいけない。僕はちょうど終電をなくし、横浜で一人あてもなく歩いている。

友人からの返事はノーだった。そりゃそうだよな。特に悲しくもなかった。もう一人の友人にも電話をかけたが、留守電になった。その後も4回かけたが、同じ結果だった。ちょっと悲しくなった。

結局自宅に電話をかけた。父親が向かえにきてくれるという淡い期待もあった。それに、それが無理でも家に帰らないことを伝えなくてはいけない。夜型の母親が電話に出た。今の状況を伝えた。父親はもうとっくに寝てしまって、起こすのは無理だと言った。以外と同情してくれている。最後の手段である父親が無理なら、俺は一晩を過ごす場所をこの横浜で探さなくてはいけない。そう決心を固めつつあるそのときである。母親はあきらめていなかった。「あれ、もう電車ない?京浜東北とかどうなの?逗子(母は昔逗子に住んでいた)の終電とか1時近くまであったはずよ。」思わず俺は、「キター!!」と心の中でさけんだ。

次の瞬間、JRの切符売り場まで走りだした。150円の切符を買って改札を通った。どうやら駅はしまっていないようだ。そして見えてきた、大船行きの京浜東北最終車の出発が近いことを知らせる電光掲示板が。僕は向かってくる、人たちをサッカーで鍛えたドリブルで交わして、なんとか電車に滑り込んだ。そして母親に勝利報告をした。
電車は走り出した。帰りの京浜東北では、駅に到着するごとに「ほげほげ駅です」と言うのだが、それが「宮迫っです」っぽくてちょっと受けた。途中から、座れた。つらかったが、気分的には安堵の気持ちでいっぱいだった。

大船を降りたらずっと飲みたかったサンガリアの緑茶を買った。そしてタクシーに乗った。「そこの明かりがついているところでとめてください」「足元気をつけてくださいね。ちょっと寄せすぎたから」タクシーの運ちゃんの細かい気遣いが妙にうれしかった。タクシーが走り去るのを見届けて、空を見上げた。すると、どうしたものか、一筋の黄色い線が空に描かれたのであった。「流れ星だ」無事、家に着けた喜びと流れ星。僕は目いっぱいの気持ちで俊輔の成功を流れ星に祈った。